20170709
母方の祖父の葬儀に参列した。
母も、祖母も、伯母も、ずっと人形のような祖父に語りかけていた。
祖父との親交はあまりなかったけれども、確かに血の繋がりを感じている。祖父に似ている所のある母を見て、母に似ている所のある自分の姿が重なる。
血の繋がりのある人の死。とても悲しいことだ。
何歳になっても、悲しいことは悲しい。
人生経験を積んで、還暦が近づいていても、90歳を迎えようとしていても、それは変わらない。
歳を重ねれば父母の死に対する耐性が少しずつ向上していかないかと、淡い期待をなんとなく抱いていたけれど、そんなことはない。感情に年齢は関係ない。
今の自分のままでは、父母の葬儀が来てしまったら耐えられる気がしない。できる限りの親孝行をしておけば、その時が来ても少しは気を張れるようになっているだろうか。
人の死は不思議な気持ちにさせられる。
避けては通れない悲しみがこれからも控えているけれど、その度に自分の死の間際についても少しずつ考えて行きたい。今は、誰にも悲しい思いをさせたくないから、自分はひっそりと葬られたいとさえ思ってしまう。
その考えは果たしてこれから変わるか。
20170608
情熱が原動力となって生きている、そんな人が大好きだ。自分もそうありたい。
1 ロボスの練習曲9番をやり始めてから、スラーの調子がとても良い。左手の脱力が上手いこといって、ポジションチェンジも上達したと思う。右手も、和音の出し方、3弦のpの弾き方、とても良い練習になる。
2 スピードバーストをすると、4321の動きに大きな課題があることがよくわかる。スピードを要求されるときでも、右手だけでなく、左手が大事。
これらは特に重点的に練習すべきだと確信。
3 アンダルーサ
冒頭、シをしっかり伸ばす。ゆっくり練習して味わい確かめる。ほとんど問題なく弾けるようにはなってきたものの、まだまだじっくりゆっくり練習するべき。
ハーモニクスはセーハ忘れずに。
4 ゴヤの美女
やはり短調のスラー多用ゾーンが問題多し。運指を変えるべきか?スラーの基礎練と思ってやるべし。ピチカートはpのヘリで!
20170531
1 爪の削り方
和音を弾くときのように指を揃えて,imaまとめて削ると意外とうまくいくことが判明。確かにトレモロも和音も指を揃えて弾くので理にかなっているかもしれない。
2 スピードバースト
ピカードとして練習。短時間でもかなりの効果を得られる気がする。あまり指を寝せないように注意する(45度位のイメージ)。基礎練に取り込むべし。
3 小指スラー
ひっかく意識というより,スラー後の指の形をしっかりイメージして,それに持っていくことを意識する。イマジナリーボールみたいな感覚。
4 ピチカート
やはりpの爪は当て無くていいと思う。肉の硬め(端)の部分を使うと良い。
5 足台
下から1段目より,2段目の方が良いかもしれない。ギターを立てるのを無理に避けない。
6 夢(マズルカ)
あまり粘っこくならないように弾く。メロディーと和音が被るところの弾き方を意識する。歯切れ良くした方がいいかも?
才能という言い訳
ギターを始めてそろそろ8年目に突入する。
しかし上達の速度が本当にゆっくりで、生きてる間に目標に到達できるのだろうか…と要らぬことを考えがち。
自分には才能が無いのかな。
という言葉が、頭の片隅を常に埋めている。ネガティヴな思考は練習の妨げとなり、悪循環を加速させる。
才能。
巷で溢れている「才能」という言葉は、大抵は、安易に褒める時か、言い訳にしか使われない空虚な言葉だと思う。一種の思考停止と言うか、中身が無い言葉。本当に最後の一滴まで努力を振り絞って、それでも埋められない差が才能の領域なんじゃないか。それだけの努力をしている人が果たしてどれだけいるか。全然努力が足りないのに才能の話を持ち出している自分も、恥を知れ!
と、いつもこのように考えて「才能の無さ」.に負けないようにしている。崖っぷちで踏み止まっている。大層なこと言っているフリをしているけれども、つまるところ慰みごとでしかない。しかしそれで努力を続けられるなら、まあいいかと。メンタルが弱い。
羽生善治さんだったか、報われるか分からない挑戦を継続することが才能、という捉え方をしていた。最高峰の言葉は重い。挫けそうな時はいつも、この言葉を思い出すようにしている。無念だからこそ、努力が意味あるものになる。意味があると信じて継続せねば。
いつか夢を叶えたい。下手くそな自分に負けそうになりながら、今日もそう思った。
練習の留意点
何かを勉強、練習するにあたって、これは気をつけるべきと思うことの覚え書き。要は、巷で言う所のPDCAサイクルにおける注意点を自分用にまとめたもの。
1 Plan
何を、いつまでに達成したいか明確に定める。
目標達成のための方法、手段を探すにあたって、独善的にならない。先人の取り組み方をよく理解する。
2 Do
実行してる間に不信感を抱き過ぎないこと。
3 Check
本当に進展してるか、客観的な判断基準が必要
。ただし、継続しなければ結果が出ない場合も多いため注意。実は手段方法を見直すタイミングを決めるのが一番難しいと思う。
あとは、本当にちゃんとやってるかどうかを見るため、記録を取る。
4 Action
より良い方法を探すことに貪欲に。
ギターの練習については、枠組みが色々ある。各々の曲が枠だったり、曲にしても部分部分で小さな枠があったり。
自分の目標を動機の強さから並べていくと、
・表現や編曲作曲の観点からギターの可能性を拡げ、人々に伝える
・ギター自由自在、思った通りに何でも弾ける
・ギターのことばかりを四六時中考えられる日々
・ギターの先生になってより経験や知識を深める
・コンクール入賞
こんなところか。土台を作っていくことから始めなければ。まずはコンクール入賞。
とまあ仰々しい目標を立ててはいるものの、現実的な到達点は片田舎でギター教室をやる、という所かもしれない。その地域ではそれなりに有名な奏者というか。それですら遠く険しい道のりだけど、決して不可能ではない。と信じる。
如何に小さい目標を具体的に設定して、モチベーションを継続できるかが勝負。頑張りたい。
クラシックギターや音楽との付き合い1
クラシックギターを始めたのは大学生になってからだけれど、ギターとの付き合いはもう少し長い。
ギターに対する興味の発端は、祖父の演奏だった。
祖父はクラシックギターの名人として地域でよく演奏をしていたそうだ。
祖父に会いに行ったときには、大抵ギターを聞かせてくれた。「コンドルは飛んでいく」が自分と姉のお気に入りで、度々弾いてもらったことを覚えている。
その影響もあって、いつの間にやら我が家にもギターが登場した。買ってもらったのはフォークギター。当時はクラシックギターとフォークギターの違いも分からず、おじいちゃんと同じだ!と思ってワクワクしていた。
ギター購入と前後して、家にあったサイモン&ガーファンクルのCD、特にスカボローフェアーが大のお気に入りになった。ギターの音色がそうさせたのかは不明。しかしこの曲への感動が、音楽を始めるきっかけになったのは間違いない。楽譜を買ってちゃんと練習し始めた。
当時の自分には(今でも少し思うけれど)ボディが大きすぎたり弦の張りが強すぎたりして、こんなにも難しい楽器だったのか…と驚愕した。それでも何とか練習して、中学2、3年生の頃、ソロギターでスカボローフェアーが弾けるようになった。確か、それなりに夢中になって弾いていた。この頃の体験がギターの楽しみの原点となっているように思う。しかし今思うと不登校になっていた時期と被っているけれど、あまり覚えていない。いつの間に弾けるようになったんだか。
そこから先は、他に新しい曲が弾けるようにもならず、いつしかフォークギターをあまり弾かなくなってしまった。スカボローフェアーは曲集の中でもかなり簡単な方で、より難しいグレードの曲においては、難しいリズムや運指の壁を越えることができなかったのだ。
しかし理由はそれだけではなく。
BON JOVIなどのハードロックとの出会いにより、エレキギターという新しい楽器に目覚めてしまったのだ。決め手となったのは中学卒業間際に聞き出したMEGADETH。所謂中学生のマインドというやつで、人と違うことに興味を持ちがちだった私は、「何か怖いやつ聞いとこ」という安直な理由でヘビメタに手を出した。
今でもヘビメタは大好きでたまに聞きたくなる。自分の音楽に対する姿勢は、高校生になってから少しずつ固まっていく。
続く